自然
自然豊かな万世を写真を交えながらお伝えします


1枚目です

びっき石

この地方では蛙のことを「びっき」という。この岩は蛙石山山頂にあり、高さ8メートル余りで溶岩でできている。頂上は平らで畳6枚が悠々と敷かれる広さがある。梯子がないのでロッククライミングで登ると米沢が一望できる。石の足元から頂上を眺めると、蛙(びっき)が藪から飛び立とうとしているように見えるのでびっき石といわれている。

2枚目です

栗子山

万世地区の東側の山脈は、奥羽山脈で栗子山(1216.6m)豪士山(1022.4m)などが南北に連なる豪士山地がそびえる。栗子山は江戸時代は杭甲嶽(くいこうがだけ)と呼ばれていた。明治9年に三島県令が隧道を掘って福島に抜ける道路工事に着工したとき、栗の形をしていることから栗子山と改名した。

3枚目です

早坂山

万世桑山にある一番高い山で、標高505メートルある。山頂には早坂山館跡がある。館の西方直下には鷺城があり、戸板山館、土肥館、大津土佐守、鷺ヶ城、鷺館などの名称が米沢地名戦に見られる。早坂山館は、本市に於いて早い時期に位置する山城の一つとされている。

2枚目です

清水山

びっき石山の東に位置する最初の高い山を通称清水山と称している。この山麓に清水が湧き、明治天皇御巡幸の折りこの清水で野点をして差し上げたという。万世コミセンから清水山、早坂山を稲荷山を眺めると、観音様が寝ているように見える。西から頭、胸、足で、胸の付近の高速道路建設で削られたあたりの奥に普門寺24番札所観音堂がある。

3枚目です

稲荷山

稲荷山は早坂山の東方に連なる山で標高は444メートルである。山服に稲荷神社があったが、東北中央道の工事にかかり移転した。山麓に館跡があり、長井氏の家臣熊坂利衛門の築城と伝えられる。伊達の侵攻により最後まで戦ったが破れ、廃城となったとされる。

1枚目です

堂森山

山頂は標高311メートルで、月見平がある。戦国武将で傾奇者前田慶次が月見をした場所と伝わる。山頂から東側に伸びた舌状丘陵部には堂森山館跡がある。南側山麓には長井時広が創建したと伝えられる出羽善光寺がある。北側には比丘尼平がある。付近には我妻館、原田館、金谷館があり万世地区での中世文化の中心地であったものとみられる。

2枚目です

牛森山

江戸時代から明治22年まで牛森は梓山村にあり、平地の中に高山ではないが標高約300メートルの山々がある。現在の万世コミセンの北にある山は牛森山で標高303メートル。東側に岩肌が表れていて、夏でも濡れていることから牛の鼻と言われている。字限図で確認すると牛森山は1筆である。南西に峰別れしている小山が牛山である。牛森集落の稲荷神社のある大きな山は稲荷山である。

3枚目です

羽山

梓山の国道13号とぶどう松茸ラインのT字路南にある標高450メートルの急峻な山である。この山頂に羽山神社が鎮座する。男子7歳になると父とともに登拝したといわれ、13参りもした。また旱魃の時には雨乞いもして農耕の神様とされている。羽山信仰には祖霊信仰もあるが、ここでは見られない。これは人が亡くなると、霊は49日間自宅にあるがその後は近くの小高い山(端山、羽山、葉山など)に昇る。そこで33年間遺族を見守っていて、その後深山に昇り次第に天にのぼるという信仰である。山頂に羽山館が確認されている。

2枚目です

栗子川 栗子橋

昭和41(1966)年5月29日、栗子ハイウエイが開通したとき栗子川に架けられた橋である。現在東北中央自動車道の栗子トンネルが掘削されている米沢側の坑口の真上付近に当たる。国道13号。

3枚目です

刈安川 第一刈安橋

一般県道関根刈安線の水窪ダム上流刈安川に架けられ、平成23年12月に道路施設長寿命化対策事業が施行された。長さ70メートル。奥にみえるトンネルは、東北中央自動車道の水窪第1トンネルの東口です。

4枚目です

刈安川 第二刈安橋

昭和49年3月竣功。国道13号から水窪ダム方面に通じる一般県道関根刈安線の水窪ダム上流刈安川に架けられ、平成23年12月に道路施設長寿命化対策事業が施行された。長さ60メートル。

5枚目です

天王川(梓川) 笊篭橋(ざるはし)

昭和40年7月竣功。梓山笊篭から小屋原に通じる橋で深い谷に架けられている。

4枚目です

天王川(梓川) 羽山橋

国道13号からぶどう松茸ラインに行く天王川に架けられている。この橋のすぐ上流に堰堤があり梓山への取水口がある。梓山桑山の灌漑用水としている。

5枚目です

天王川(梓川) 水石橋

国道13号梓山地内のガソリンスタンド手前から左に入った市道である。梓川の中でも深い淵のあった場所で、岩床を利用して木橋が架かっていた。5メートルほどの深い淵にはイワナやヤマメがたくさんいて川魚漁や、川遊びの飛込み場とされていた。天王川の河川改修が進み、岩を取り除き川床を平らにした。橋は昭和61年1月竣功。

4枚目です

天王川(梓川) 第1門前橋

国道13号梓山地内の松林寺入口からの市道にある。平成8年3月竣功。天王川河川改修に伴い竣功した。このすぐ上流には魚道がもうかられている。

5枚目です

天王川(梓川) 梓山橋

八幡原工業団地内を流れる天王川(梓川)に架けられている。東北パイオニアの東にあり、八幡原変電所のわきの橋である。

4枚目です

天王川(梓川) 細原橋

八幡原工業団地内を流れる天王川(梓川)に架けられている。八幡原へリポートに入る手前の橋である。

5枚目です

羽黒川 万世橋

明治9年三島県令が刈安新道を開鑿(かいさく)するに、住民の理解を得るため大きな橋を架けその利便性を示したといわれる。松川の相生橋と羽黒川の万世橋である。万世橋は最初吾嬬(あづま)橋と呼ばれた。羽黒川は暴れ川で、以前はびっき石のすぐ下を流れていた。明治の古い地図を見ると橋は中州を通って三本架かっていた。昭和12年の改修によってコンクリート橋になり名称が万世橋となった。

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