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〒999-0133 山形県東置賜郡川西町大字小松614-2
「いぬかわ」の由来は、明治22年「犬川村」が誕生しました。当時から、玉庭を源流とする犬川が、この地域のほぼ中央を縦断して流れていたことから、この村の名前を「いぬかわ」としたといわれています。
そもそもこの「いぬかわ」の「イヌ」は、アイヌ語で「イル」=魚がたくさんいるという意味からきていて、
「イルカワ」が変化し「いぬかわ」になった…という説もあります。
下小松古墳群は、下小松山と呼ばれる里山に4世紀から6世紀に渡って造られ続けた「東北有数の大古墳群」です。古墳群は全体で5つのグループにわかれ、その中で国指定となっている「薬師沢」「鷹待場」「小森山」3支群の古墳数総数は、179基にのぼります。
このうち小森山支群には、山形県下の前方後円墳の約半数である17基が集中しています。
古墳の広がる丘陵地帯には、春・4月から6月にかけて「ショウジョウバカマ」「オオイワガミ」「ニッコウキスゲ」「ひめさゆり」「キキキチョウ」など高山性の植物が次々と咲き誇ります。
また、「チョウセンアカシジミ」や「ハッチョウトンボ」など希少な小動物が生息する豊かな里山です。
2003年(平成15年)には、「里山保全地域指定」を受け、2010年(平成22年)には、「山形県景観条例・景観回廊」の指定を受けました。
【導伝遺跡】
下小松の道伝の水田から古代の柵木と思われる杉丸太が掘り出され、昭和54年に大規模な発掘調査が行われた。 調査の結果、これらはただの丸太ではなく横木を組み合わせたと思われる穴があけられており、等間隔に並んだ柱根やたくさんの木簡も発見された。
それらのことから、ここは置賜郡の役所があったのではないかという結論を得られた。54年の発掘作業には、下小松をはじめ地元住民の方々が多く関わり、出土した土器や木簡等は現在、川西町埋蔵文化資料館(現在閉館)に保管されている。
(参照:川西町史 上巻より)
【長堀堰】
1625年、島貫源兵衛という下小松の人が白川の水を山のすそをまわって、犬川に引くことを計画した。1643年、19年もかかって完成。後の1818年(江戸時代文政元年)には飯豊山に穴せき(新潟県に流れる水を山のトンネルで山形県に流した)が完成し犬川・大塚・高山に水を引くことができた。
(まなぼうクラブ記録 第2集資料より)